ビジネス界で活躍されている素敵なPeopleをご紹介しています。
A&Peopleは、そうした素敵な方々と業務を通じて、助力となるべく連携させていただけることを誇りに思っています。

vol.28 梅島 みよさま

株式会社マネジメントサービスセンター 顧問

長所を見て、それを発揮させるのがコンサルタントの役目

人材開発コンサルタントのパイオニアとして90歳を過ぎた今も活躍されている梅島さまに、アメリカから導入したヒューマン・アセスメント、コンサルタントで大切なこと、経営者に求められることなどについてうかがいました。

「People」第28回目は、株式会社マネジメントサービスセンターの顧問・梅島みよさまのご紹介です。A&Peopleでは、アセスメント関連の翻訳をお手伝いさせていただいています。また、梅島さまは日本女子経営大学院の顧問もされており、私も同大学院でエグゼクティブメンターを務めさせていただいてるご縁で、女性経営者の大先輩である梅島さまに今回の取材をお願いいたしました。
人材開発コンサルタントのパイオニアとして90歳を過ぎた今も活躍されている梅島さまに、アメリカから導入したヒューマン・アセスメント、コンサルタントで大切なこと、経営者に求められることなどについてうかがいました。 

[取材者:浅井 満知子]

能力や資質を多面的、客観的に評価するヒューマン・アセスメント
長所を見て、それを発揮させるのがコンサルタントの役目

まず、株式会社マネジメントサービスセンターについて教えていただけますか?

米軍キャンプ勤務時代に、日本人の管理者教育(MTP:Management Training Program)に携わりました。その時代の同僚と1966年に設立したのが株式会社マネジメントサービスセンター(以下、MSC)です。女性は25歳になると“クリスマスケーキ”と言われた時代で、だいたい3-4年務めて退職するというサイクルでしたので、採用頻度が高く女性教育のオファーが多かったため、社内で唯一の女性の私は忙しくしていました。でも、こちらはコミュニケーション理論やリーダーシップ理論を教えたいのに、実際の仕事はマナーや接遇の研修ばかり。アメリカの実情を知りたくなり、1971年に視察ツアーを催行してアメリカの大手企業12社を回りました。当時のアメリカは、大統領令で各種差別の撤廃がうたわれ、ちょうど現在の日本のように女性活用が推進されていた時期。そのツアーで、専門の評価者(アセッサー)が人材の適性や能力を科学的に測定する「アセスメント・センター」に出会ったんです。直談判して、翌年にその開発者であるDouglas W. Bray博士とWilliam C. Byham博士を招へいしてアセスメントの紹介セミナーを実施し、Bray博士が設立したDDI社と提携契約を結びました。日本の企業には、年功序列や終身雇用といった古い慣習が根強く、労働組合の存在も大きかったため、こうした能力評価を受け入れてもらうのに10年ほどかかりましたけれど。これが、45年にわたりMSCの一つの柱となっている「ヒューマン・アセスメント」です。

コンサルタント、アセスメントで重要なのは、どんな点でしょうか?

 人を見ることですね。相手の言葉だけで早急に「こういう人だ」と決めつけてはダメ。目の動き、音がしたときの反応、手の動き……すべてを見たうえでの知的な理解、感情の理解、置かれた環境の理解が求められます。さらに、観察して得た情報を、一つの構造として、社会や環境との関連で見なければなりません。
また、長所を見るようにすることも大切です。誰にでも欠点はあるけれど、長所を見て、それを伸ばせば短所は消えます。そもそもコンサルタントの目的は、相手の長所を伸ばして、それに磨きをかけ、その長所の発揮の仕方を教えることですから。

Bray博士が、会社には5つのタイプの人間がいるとしています。
・会社での地位が高く、家庭でもハッピー=高い所を飛ぶワシ
・出世はしたけれど、家庭ではアンハッピー=夜は孤独でホーホーなくフクロウ
・出世はしないけれど、家庭ではハッピー=空高く飛ぶ気はあまりないペンギン
・会社でも、家庭でもアンハッピー=クリスマスの時だけちやほやされ、食べられてしまう七面鳥
・会社でも、家庭でもほどほどにハッピー=スズメやコマドリ

誰もかもが出世を望んでいるわけではないし、周囲のために進んで雑用を引き受ける人もいる。職業人の幸福は、今やっている仕事が好きで、そのことに興味を持っているかにかかっています。その人が職業人としてやりたいように、生きたいようにアドバイスしてあげるのが、私たちの役目だと思っています。 

ロールモデルとなった上司、コンサルタント職との出会い

梅島さまは、どういうきっかけでコンサルタントになられたのでしょうか?

 上級学校に進学したのは、「女性も手に職を持つべき」という母の意向でした。海軍の島田実験所で終戦を迎え、21歳で結婚し、3人の子を産みました。下の子が幼稚園に入った27歳の頃に、心の中のムシが動き出したんです。「夫を通してではなく、世間と直接つながりたい。私も仕事がしたい」。
座間の米軍キャンプでは、広報部に配属になりました。その時の上司が実に部下の教育に長けた方で、私のロールモデル、ビジネス人生の師匠となりました。その後人事部から「上司の目・耳・口となるのではなく、あなた自身がダイレクトに人に影響を与える仕事をやらないか」と声が掛かり、3年目に教育訓練コンサルタントになりました。ただ、仕事は自分でとってこなければならなくて、各部門を回ってニーズを見つけ、プログラムを作って売り込んでいました。
その後主人の転勤で山口へ移り、一時は日立の工場で海外からの来賓や技術者のアテンドや技術資料の翻訳、技術者の講義の通訳をしていました。その仕事も面白かったのですが、教育の仕事をしたいと、教育コンサルタントに復帰したんです。

MSCでは社長と会長を歴任されました。経営者としてこだわられた点はありますか?

言いたいことを言えるナンバー2の方が私の性には合っていたので、正直社長になるのはためらいがありましたが、初代の社長が退いたとき、私にやるようにと言われました。
社長時代に私のポリシーとして貫いたことは、(コントロールされるのも、するのも嫌いなので)上場は勧められてもしない、身内を入れることは、仲間の間に変な憶測を招くので入れない、我が社の商品は高品質を保つ努力を続けるから値切りには応じない、というようなものです。お客様からは「商売がヘタだ」とよく言われましたが、満足したお客様が新しいお客様を呼んでくださったので、何とか拡がりました。

企業は新しい風を入れて、変化していくべき
女性は「生む」力を発揮して、もっと起業してほしい

梅島さまは、さまざまな職場、お仕事を経験されています。それが今のキャリアにつながっているのでしょうか?

私の母が、こう言っていました。「お花を摘みに行くと、お前はクルクル歩き回って背の高いきれいな花だけを摘みきれいな花束はつくっていた。お前は米軍や日立に勤めたかと思えば、会社もつくる。仕事をする時、子供の頃の花摘みと同じで、人のクセは大人になっても変わらないのね」と。動き回るのは、私の性分なんでしょうね。
ただ、私は運がいいというか、神様に可愛がってもらえたと思っています。ひょんなことからミッションスクールへ入って、戦前・戦中に英語を学んだこと。主人の転勤が仕事の転機につながったこと。アップダウンはありながらも経済は比較的教育産業にプラスに作用したし、役員になってからも周囲がフォローしてくれました。

社会がどんどん変化していく中で、半世紀以上も現役を続けるにはいろいろご苦労もあったと思います。

変化に合わせて、今度はこうしてみようと考えることが楽しいんです。企業の社長さんたちに後継者の特徴を聞くと、よくご自分と同じ長所を持つ人をあげることがあります。自分のコピーを作ろうとしている。経営っていうのは、それまでの伝統に新しいものを加えて、変わっていくべきで、お客様のニーズも多様化していくので、ビジネスをさらに掘り下げ、同時に横にも広げていく必要があります。
新しい風を入れるためには、採用で10人採るなら2、3人はクセのある人やパッとしない人も入れるくらいがちょうどいいと思います。意見が同じ人ばかり集めたのでは、議論が活発になりませんから。

最後に、管理職と女性らしさのバランスをどのように保たれているのか、秘訣を教えてください。 

若い人には、同世代だけでなく、もっといろいろな年齢・エリア・階層の人と話をして、視野を広げてほしいですね。周囲にもっと興味をもって、自分と違うからダメではなくて、違うから面白いという考え方をしたらいいと思います。
そして、Bray博士は「女性は相対的に、男性よりも管理能力、コミュニケーション能力が優れていて、何より“生む”力があるのだ」と言っていますから、会社で上のポジションを目指すだけでなく、もっと積極的に起業してほしいです。起業くらい面白いことはないですし、子どもにせよ、会社にせよ、“生む”経験をした女性は一回りも、二回りも大きくなれますから。